Advisors
名誉顧問
リチャード・ラプチック
「スポーツ界の人種差別への良心」と称される人権活動家で、人種差別撤廃のパイオニア、スポーツにまつわる問題に関する世界的に有名な専門家、そして学者でもあり著作活動も顕著なリチャード・ラプチック氏は、誰もが平等な権利を持つ社会づくりへの使命感と、スポーツは社会変革のための効果的なツールであるという信念をもって2001年8月よりセントラル・フロリダ大学で教鞭をとり、2009年には同大学を全米MBAプログラムのボランティア・サービス・ランキング1位に導いた。ESPNやSports Business Journalへの寄稿多数、米議会や国連、欧州議会でも登壇し、ノース・イースタン大学の「Center for the Study of Sport in Society」や National Consortium for Academics and Sport (NCAS)の設立にも尽力した。また、「学生アスリートの日」の設立にも尽力、ハリケーン・カトリーナの被害者を支援する「Hope for Stanley Foundation」の設立にも協力した。
人道主義者アワードの受賞は、「市民権活動特別功労賞」から、「 アーサー・アッシュ良心の声アワード」、「女性スポーツ財団会長賞」、「ラルフ・バンチ国際平和賞」、「ウェンデル・スコットパイオニア賞 」(2004)、 「NASCAR ダイバーシティ・アワード」 (2008)等々、枚挙にいとまがなく、(黒人テニス選手の先駆者として活躍した)アーサー・アッシュ氏やネルソン・マンデラ氏とともにイギリス連邦スポーツ殿堂の人道主義者部門に殿堂入りした。
ほか、ホロコースト関連教育機関主催ディナーでの表彰や、女性コーチアライアンスからのチャンピオンアワード、黒人コーチ連盟からの特別賞、マニー・ジャクソン ヒューマン・スピリット賞、黒人ジャーナリスト協会からのパイオニア・アワード等、受賞多数。また、米スポーツ界60年の有力者100名、米国有力スポーツ教育者100名にも選出され、1975年からアパルトヘイト禁止までのアメリカスポーツ界の南アフリカ共和国に対するボイコット指導者として、ネルソン・マンデラ氏の就任プライベートパーティにも招待された。
上級顧問
(アルファベット順)
Jutta Engelhardt
政治学と英文学、ロシア哲学をドイツ・フライブルグとカナダ・トロントのトロント大学にて学び、また解決目的型マネジメントと結果重視のプロジェクト・プランニングに関するコースも履修。2000年から2007年にかけては、オランダにて国際プログラムのディレクターとして勤務、薬物使用による感染予防活動を推進する Mainline 財団の委員として活動した。東欧やアジアでの予防・意識向上プロジェクトでのマネジメント経験豊富、2008年5月よりスイスの研究機関SAD (Sport and Development) のスポーツと開発部門をリードし、マネジメント委員を務める。
パトリック・ガッサー
元 Head of UEFA Football Social Responsibility
1999年よりUEFA(ヨーロッパサッカー協会連合)各国連盟統括部で東欧でのサッカーの発展に寄与、現在サッカーと社会的責任 (Football and Social Responsibility -FSR-) ユニットのシニア・マネジャーとして様々な社会的責任プロジェクトを統括指揮する。それ以前は13年間国際赤十字社(ICRC)本部人事部に勤務する一方、アフリカ、アジア、ヨーロッパの紛争地域で救援・保護活動やメディア対応等、多岐に渡る業務の責任者として活躍。ルツェルン大学で経済学と経営学を学び、人事管理の修士号を取得後、さらにジュネーブ大学から人事管理の、ローザンヌ大学からスポーツ社会政治学の学位を取得。2010年ジュネーブ大学上級CSRコース修了。
ユルゲン・グリーズベック
streetfootballworld 創立者・CEO/ アショカフェロー
streetfootballworld 創始者で戦略立案、新規事業開拓とパートナーシップ強化の責任者。コロンビアのサッカー選手アンドレス・エスコバルがオウンゴールをしてしまったことで射殺された事件以来、サッカーの社会的影響力に関心を抱き、コロンビアとドイツでプロジェクトを始め(“Fútbol por la Paz”や “Straßenfußball für Toleranz”)成功を収める。そして、2002年にstreetfootballworldを立ち上げ、それまでの経験を生かし 「サッカーを通した社会変革」の分野で活動を展開する市民団体をつなぎ、グローバルのレベルで統合した。2006年ローレウス Sport for Good Award 受賞、2007年よりアショカフェロー、2012年よりSynergosフェロー。2011年には、シュワブ財団よりEuropean Social Entrepreneur of the Year に選出される。
細川 佳代子(ほそかわ・かよこ)
1994年スペシャルオリンピックス日本(SON)を設立、知的発達障がいのある人の自立と社会参加を日常的なスポーツを通して実現する活動の日本での基盤を築いた。また、2005年2月の「スペシャルオリンピックス冬季世界大会」を招致、会長を務め、アジア初となる世界大会を成功に導く。大会終了後もSON名誉会長として日本各地で啓発活動を行う一方、ユニバーサルスポーツとしてフロアホッケーを普及させるために、日本フロアホッケー連盟を設立。理事長を務め、障がい、性別、年齢等を超え、共に生きる喜びを感じる社会の実現を目指す。2007年にはNPO法人勇気の翼インクルージョン2015を設立、2015年までに日本を差別や偏見のない「包み込む社会」にすることを明言し、障がい者理解の教育と就労支援に係る活動を精力的に展開。知的発達障がいのある青年たちを追ったドキュメンタリー映画『able』『Host Town』『Believe』『幸せの太鼓を響かせて~INLUSION~』などを制作した「ableの会」代表、途上国の子どもたちにワクチンをおくる、認定NPO法人「世界の子どもにワクチンを」日本委員会 理事長も務めている。元内閣総理大臣細川護熙夫人。
滝澤 三郎(たきざわ・さぶろう)
特定非営利活動法人国連UNHCR協会理事長
1948年長野県生れ。1972年埼玉大学教養学部卒。東京都立大学大学院終了後、法務省入省。1980年カリフォルニア大学ハース経営大学院修了と同時に米国公認会計士(CPA)試験合格。1981年国連欧州事務局採用。1993年国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)、1991国連工業開発機関(UNIDO)。同財務部長などを経て2002年9月国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)財務局長、2007年1月UNHCR駐日代表。2009年より東洋英和女学院大学大学院国際協力研究科教授、2013年4月より現職。
メル・ヤング
ホームレスワールドカップ共同設立者・代表
シュワブ財団も認める社会起業家の世界的リーダー。もともとはジャーナリストだったが、1993年にビッグイシュー・スコットランド、Senscot (社会起業家ネットワーク・スコットランド)を共同設立、ストリート・ペーパー国際ネットワークの会長並びに名誉会長も務めた。さらにCity Lynx 誌、ニュー・コンシューマー・マガジン等を立ち上げ、90年代にはエジンバラ南西部の町ウィスター・ヘイルズのコミュニティ新聞にも関わっていた。現在、自身が2003年に共同設立したホームレスワールドカップ代表を務める一方、スポーツ・スコットランドとグラスゴー文化スポーツ局の非常勤役員を兼務。また、世界経済フォーラムのスポーツ・アジェンダ・カウンシルのメンバーでもある。生涯ヒバーニアンFCのファンで、著書に「ゴール~ホームレス・ワールドカップ物語」がある。
顧問
(アルファベット順)
赤羽 真紀子(あかばね・まきこ)
CSR Asia日本代表
さまざまな業種の多国籍企業でCSR担当として10年以上の経験を持つ。スターバックスコーヒージャパン、セールスフォースドットコム、日興アセットマネジメントの各社で関連部署の立ち上げを手がける。02年にはスターバックスコーヒージャパンの社長賞受賞、06年には社員ボランティアの仕組みが評価され、セールスフォースドットコムをさわやか福祉財団の「ナイスサポート賞」受賞に導く。いずれの受賞も企業のCSRプログラムを本業とうまく統合させていくことが評価されたもの。日本以外でもアジア太平洋統括としてシンガポール支社でのCSR部署の立ち上げやタイ、韓国、中国でのCSRプロジェクト実施の実績がある。早稲田大学で政治学と生物学を修め、カリフォルニア大学リバーサイド校、タフツ大学、慶應義塾の各大学院で学ぶ。清泉女子学院大学、立教大学、慶應義塾大学、APABIS、ブリティッシュ・カウンシルをはじめ講演多数。
町井 則雄(まちい・のりお)
株式会社 シンカ 代表取締役社長
一般財団法人 森から海へ 専務理事
一般財団法人 22世紀に残すもの 代表理事
1993年日本財団入会後、ボランティア支援部、社内業務システム開発プロジェクト、電子図書館「日本財団図書館」などの企画及び開発担当などを経て、公益コミュニティサイト「CANPAN(カンパン)」の企画・開発を担当。CANPANプロジェクト企画総括責任者、内閣府「新しい公共」推進会議 情報開示・発信基盤に関するワーキンググループ委員、経済産業省ソーシャルビジネスコンソーシアム事業審査委員などを経て、現職。
岡田 千あき(おかだ・ちあき)
大阪大学大学院人間科学研究科 准教授
1996年早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業、1998年まで青年海外協力隊の体育教員としてジンバブエに赴任。帰国後、広島大学大学院国際協力研究科教育開発専攻において修士課程を修了。同時にカンボジアやアフリカ支援のNGOでの活動を開始し、カンボジア、東ティモール、コソボ、ボスニア等でリサーチ活動を経験。大阪外国語大学助教授を経て大阪大学大学院人間科学研究科准教授。スポーツと開発に関する研究の日本における第一人者、学会での発表経験豊富。共著『ライフストーリーでつづる国際ボランティアの歩き方』(2007年3月国際協力出版会)、 “Sport and Social Development: Promise and Caution from an Incipient Cambodian Football league”(2011年発刊予定International Review for the Sociology of Sport)
佐藤 恵里(さとう・えり)
認定特定非営利活動法人 Peace Field Japan 副理事長
フレアインターナショナル 代表
1992年上智大学文学部英文学科卒業。グローバルな視野や問題意識から新しい価値観の創造を目指すイニシアチブに参画し、各国を代表する環境専門家や未来学者らとの親交を深め、1995年にフレアインターナショナルを設立。国際間の環境技術移転を推進し、環境ジャーナリストとしても活躍。共著『リラクゼーション・ビジネス』(1993年)『テクノストレスに効く55の処方箋』(2002年)。2004年に国連本部(NY)にてアートによる平和の文化啓発プロジェクトを発足し、世界各国で平和の絵の展示活動を行う。同年、中東の紛争地域の青少年を日本に招聘し里山でのスポーツや対話交流活動を行うNPO法人Peace Field Japanの設立に参画、現在副理事長を務める。
鈴木 直文(すずき・なおふみ)
一橋大学大学院社会学研究科 教授
1999年3月東京大学文学部卒、2001年同大学大学院工学系研究科社会基盤工学専攻修士課程修了。2007年英グラスゴー大学社会科学研究科都市学専攻博士課程にてPhD取得。スポーツと都市/地域再生をテーマとし、特に貧困や社会的排除等の問題解決にどのようにスポーツが寄与することができるかについて研究。イギリス、南アフリカ、レソト、東京、東北、高知など、国内外でスポーツや余暇活動を契機とした課題解決プログラムの事例研究を多数実施。著書に『スポーツと国際協力−スポーツに秘められた豊かな可能性』(共編著、大修館書店、2015年)、『承認−社会哲学と社会政策の対話』(共著、法政大学出版局、2016年)、『21世紀のスポーツ社会学』(共著、創文企画、2013年)など。
田村 太朗(たむら・たろう)
一般財団法人ダイバーシティ研究所 代表理事
兵庫県伊丹市生まれ。高校卒業後、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南米などを旅する。在日フィリピン人向けレンタルビデオ店で勤務することで、日本で暮らす外国人の課題を知る。阪神大震災直後に外国人被災者へ情報を提供する「外国人地震情報センター」の設立に参加。1997年4月から2004年3月まで(特活)多文化共生センター代表として同センターの成長に居合わせた。2004年4月からIIHOE研究主幹として、NPOのマネジメントサポートや自治体との協働にテーマを移し、非営利民間の立場から地域社会を変革するしくみづくりに取り組む。2004年には、自らの社会起業家としての経験を生かし若者起業家を応援するNPO“edge” (Entrance for Designing Global Entrepreneurship) を創設、また、2007年1月からダイバーシティ研究所代表として、CSRにおけるダイバーシティ戦略に携わるとともに、2011年3月より内閣官房震災ボランティア連携室企画官として、被災地支援にも尽力している。